2月になり、寒さも追い込みに入っていますね

間もなく2018平昌冬季オリンピック大会が開催されますが
世界のアスリート、日本のアスリートのパフォーマンスがとても楽しみですね

今回のブログは、スポーツとアンチ・ドーピングのコラムです
現在わたしは、スポーツとアンチ・ドーピングの教育に関する研究を推進しています
アンチ・ドーピングの啓発活動や研究活動をする中で
スポーツは社会に大きく影響すると、切に感じます
スポーツの価値とは何か、是非皆さんとご一緒に考えられたらと願います

*ことし1月、カヌー競技におけるアンチ・ドーピング規則違反が大きく報道されましたが

そのことを受け、メディア媒体から執筆依頼があり記述を進めました
校正に進む前の段階において、最終稿の確認や掲載時期が不明な状況にあったことから
掲載辞退をし、ブログに掲載することにしました
本稿執筆にあたり、ご確認などのサポートを頂きました日本アンチ・ドーピング機構に
この場をお借りし、心より感謝申し上げます。


●スポーツの価値を揺るがすドーピング

 

スポーツの世界で大きなうねりとなっている、国際的なドーピング問題が、昨今、様々な面で明るみになり、大きく取り上げられている。ドーピングとは、「禁止物質や禁止方法により競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとするもの」とされる。これまで、ドーピングは、スポーツの世界の中で起こる特殊な事象で、一般社会における認識度は比較的低いものであった。日本人のオリンピック・パラリンピックアスリートには、過去アンチ・ドーピング規則違反者が一人もいない。そうしたクリーンなイメージのためか、「当然しないだろう」と思う所があるかもしれない。実は、少人数ではあるものの、日本全体では毎年規則違反者の報告がなされている。その中には、風邪薬等に禁止物質が含まれないかの確認を怠った違反事例も含まれ、「うっかりドーピング」ともいわれた。そのため、競技力促進を狙う、計画的かつ悪質な違反とは日本は無縁と捉えている面が、社会通念上にあるという印象を受ける。

しかし、2020年東京オリンピック・パラリンピックを迎える日本は、過去最もアンチ・ドーピングへの認識や関心が高まっている。徐々に「他人事」ではないと、感じ取れるような出来事が近年巻き起こっている。

 

●ドーピング行為を「させられる」かもしれないアンチ・ドーピング規則違反

 

2018年初旬、カヌー競技におけるアンチ・ドーピング規則違反の報道内容に、多くの関心が集められた。「ドーピングで違反」と聞き想像するのは、アンチ・ドーピング規定(CODE)で禁止される物質をアスリートが自ら摂取する事例であろう。この一件でも、当初違反となったアスリートの体内から禁止物質に該当する蛋白同化薬の代謝物が検出された。ところが、ライバルアスリートによる競技妨害目的で禁止物質の混入がなされたことが後日判明した。これは、CODEに定められる10項目のアンチ・ドーピング規則違反(図1)のうち、8項目の「アスリートに対して禁止物質・禁止方法を使用または使用を企てること」に該当する。

スライド2
1 10のアンチ・ドーピング規則違反

(日本アンチ・ドーピング機構PLAY TRUE BOOKより引用・改編)

 

選手同士だけでなく、コーチやトレーナー、家族など、周辺にいるサポートスタッフが使用を企てた場合も同様である。禁止物質を使用させた選手の規則違反はより重く受け止められる判定で、8年の制裁期間となった。制裁期間中は、ボランティアなど含む、あらゆるスポーツ活動が停止となる。

そして、妨害行為を受けたアスリートは、いくら潔白が証明されても、該当大会の成績取り消しに変更はない。自身の体内に禁止物質が存在した事実は遡り変えることができない。失われたものは、もう二度と取り返せないのである。

 

●「アスリートが守るべき6つの役割と責務」を理解すること

 

日本国内で「禁止物質・禁止方法をアスリートに対して使用させる」規則違反が生じたことは、大変遺憾であると同時に、実際に起きてしまったのか、という驚きもあった。スポーツ環境のグローバル化が進んでいる以上、「日本に限って」という見方を取り払う時期に至っている認識を持つべきであろうか。この辺りは非常に悩ましい。

ただし、違反行為に至ったアスリートは、アスリートが守るべき6つの役割と責務(図2)のうち、1、5、6項について、責務を果たしたことで、問題が明るみとなったところもある。

 スライド1

2 スポーツに参加する条件としたアスリートが守るべき6つの役割と責務

(日本アンチ・ドーピング機構PLAY TRUE BOOKより引用・改編)

 

スポーツの高潔性、公正性を守るためには、アスリートはこの6項目を厳守することが義務付けられている。

 

私のスポーツキャリアでは、海外アスリートたちとの国際交流があったが、ドーピングの問題について皆大きな関心があり、私が若い当時に驚いたことは、「他人に禁止物質を入れられないよう注意を払う」という共通の危機管理意識がみられた。

現在、国際大会に出場する日本のアスリートは「禁止物質・禁止方法を使用させられる」可能性の教育提示がなされているが、こうした認識を国内水準で徹底できるかは、今後の教育方法にかかっている。

 

●日本でのアンチ・ドーピング教育をどのように発展させるかの分岐点

 

カヌーの一件を通し、今後のアンチ・ドーピング教育にどのようにつなげるかが新たな課題である。日本国政府は、2020東京オリンピック開催国として国際的なアンチ・ドーピング推進体制の強化支援を約束している2013年には、高校学習指導要領の保健体育科目・体育理論の学習項目に、「オリンピックムーブメントとドーピング」が追加された。しかし、実際の教育方法や個人の習得度の状況は不明である。

現在、日本アンチ・ドーピング機構では、教育現場における指導案作成や、スポーツ現場などで活用できる「スポーツの価値を基盤としたスクールプロジェクト」を展開している。この先、一貫性のあるアンチ・ドーピング教育実施方法の確立と情報共有は必須であり、若年層からの教育実施が好ましい。スポーツ現場のみに留めず、世の中の共通認識となるべく教育活動の推進の時は、まさに今ではないだろうか。

 

●消えない価値・消せない過去

 

わたし自身、陸上競技の競技者として24年間選手生活を続けた経験を持つ。その中で、スポーツ活動とは、人格形成に非常に深く関与すると認識する転機が幾つかあった。


その一つに、大学生で初めて受けたドーピング検査が挙げられる。アンチ・ドーピングを深く理解し、自身の体内に取り入れるものに責任を持つべきと感じ取った。意図的な形ではなかったとしても、消せない過去が生み出されることを阻止しなければならないと考えた。

 

もう一つは、社会人1年目のときに、自身の専門としていた円盤投競技で、初めて日本記録を投擲した時である。幼いころからの旧知の婦人から、日本記録を樹立したお祝いの言葉と、次の内容を伝えられた。


「日本記録を出したのなら、日本記録保持者らしくならないとね、これからは」

そのたった一言で、にわかに舞い上がっていた気持ちがストーンと地に戻り、自分の立っている足元の感触を捉えなおした。「自分はまだそんな人間になっていない」と感じたのだった。


スポーツに限らず、どの分野においても、一つのことだけを突き詰め高めれば良いわけではないと考える。他に信頼され、尊敬される行動を表せるまでの成長を求め、励むこと自体が、その人の価値になるのではないだろうか。そして、その価値は、きっと消えないものだと信じる。